思考の掃き溜め

大学生/雑記

AI絵師は絵師としての利益は得られない。

 X(旧Twitter)で日々議論(笑)されているAIイラストの問題。今回はAI絵師の利益を軸に話していきたい。

 

ここでは深く言及しないが個人的には、実在人物のディープフェイクやポ■ノを流布する事以外は特段問題無いと考えている。俗に言うAI規制派。後々書く機会があれば。

 

 本題に戻るが、AIイラストで儲けようと日々過ごしているAI絵師達は、例え今いる手書き絵師を蹴散らしても、そこにあった利益はもうないだろうという予測をしている。

 AIイラストというのは誰でも簡単に出力できてしまうので、結局個人が欲しいイラストを個人が勝手に生成する。つまりAI絵師は絵師としての利益は得られないし、事業として成り立たないのではないか?

 例えるなら、工業化された超安価な製品(=AIイラスト)を暴利で販売しても売れる未来はあるのか?

 

という話。

老人や情報弱者向けに行なっている、家電量販店や携帯ショップの様な設定サービスでなら売れるかもしれないが…。

弱者を救えたなら

ホストに狂う女性、配信者に狂う男性…等様々なものに狂った人を私は弱者と認識している。

 

自らの身を削り得られない見返りを求めて搾取される事に彼等は気がついているのだろうか。

これらとは節度良く付き合っていかないと身を滅ぼす事になるのはわかっているのだろうか。

 

彼等が自ら決めた事を外野がとやかく言うのは良くないかもしれないが、

彼等が決めた事だからこの先どうなろうと構わない。選択した結末を受け入れろ。

と思うのも良くないと思う。(昔は私もそう考えていた。)

そんな弱者を私は

救えたら

と思い続ける。

公平性はどこまで保障されるべきか

私の大学は、外国語の講義が(氏名順で決められた)クラス毎に担当の大学教員がいるのだが、成績の評価方法に差がある。

具体的には、一方のクラスでは毎回テストがあるのに対してもう一方のクラスでは授業中に配布された文章を書き写して提出するだけでGP4を貰えるのだ。

同じ大学、同じ学科、同じ講義であるのにも関わらず成績評価に平等性がない。

不満が出てくるのも仕方が無い。

 

社会でも、家庭環境による、資産による、場所による不平等と無限に不平等は続く。

少なくとも人々は平等でなくても平等性を保たなければならない。(平等を突き詰めたものが共産主義?)

平等性で考えると都市と地方の不平等感はインターネットや電子機器による娯楽のお陰で減りつつあるが…SNSにより都市への不平等感を感じることもあり得るだろう。

「苦しい」と言うことを我慢する必要はあるのか?

「私、◯◯でホント(人生)苦しいよ。」

と言うと

「××の方が貴方より大変な人生を送ってるのに貴方はその程度で苦しいなんて言うんですね。」

と言う人はいなくはないだろう。

自分にとってその事は苦しいのに、それを否定する様な発言はどうなのか(この様な事をギルトトリップという)。

例として挙げるが、事実として日本で生活している人と、発展途上国で生活している人を比べれば、後者の方が大変な生活を送っているのは確かだが、今話している相手を思った発言をすべきであって否定すべきではないと思う。

では、そのような目に遭わない為に「苦しい」と言うことを我慢する必要はあるのか?

その必要はないと思う。

人それぞれ苦しさは違うものであって、他人が否定するべきものではない。

 

 

夢語り

以前高校時代の友人と飲み歩きをしたのだか、その時にそれぞれの夢を語る事になった。

その時聞いている自分のなかで酔っていたからのか、潜在的に考えていたのかはわからないが、

「こうやって夢語れるのも今の時期だけなのかな…。」

何て考えてしまった。

でも、そんな風に語り合える今は幸せなのかなとも思う。

社会にでて歳を重ねて行くごとにそんな余裕はあるとは今の私には思えない。

分岐点

人生は選択の連続と言われているが、選択肢は必ずしもその選択の時に見えているとは限らないと思う。

自分の進路を選択する時など明らかに見える選択、そこから生まれる分岐点。

でも見えない分岐点は必ずある。それは前の分岐点で通ってしまったルート上で勝手に選択されてしまう。気がつかないうちに通り過ぎてしまう。

何処かで振り返るとその地点に分岐点があった事に気がつく。それに後悔し、悩む。

同窓会

高校の同窓会に参加してきた。

クラスの皆は思ってたよりも変化がなかった。

2年も経ってないならそんなものなのか。

変化を感じるのはもっと先の話なのだろうか。

30代、40代になる頃に会う時は、自分への虚しさだけ残るのだろうか。

でも

ずっと家に引き籠もっていたものだから、人に会うのも久しかった。

彼らと話してる内に

もう少し自分の人生も頑張ってみよう

そう思えた。

例え虚しいものだとしても、それでも最善を尽くす理由にはならないから。

2023年の抱負

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願い致します。

 

抱負というのは宣言しておくと効果が出やすい(らしい)ので、恥ずかしながら宣言させて頂きます。

 

1.語彙力を鍛える

ブログでも人と話す際も「もっと良い表現があるな」と思う場面があるので、本を多く読んだり、文章に書き表す事を増やしていきたいです。

2.自己研鑽

今の私は、ある程度目指している自分の理想とは違っているのが現状で、発言と行動が一致していなかったりする事等があるのでそこを改善していきたいです。

それと私はどちらかと言うと肥満気味なので、今の体重より-6kgを目指して、夜型から朝型に変えて朝の時間を有効に活かしたいと思います。あまり変えるのは良くないと聞きますが…

3.短期間の旅にでる

私はかなりのインドア派なので、滅多に外に出ることはないのですが、折角多くの時間があるのにただ家に籠もってても仕方がないので、夏休み期間中や春休み期間中に県外に行きたいです。今の所は東京か北海道に…。

 

 

 

 

 

年末を迎えたときに上記の抱負を達成していますように。

無常

2017年末期頃から現在に至るまで一定の流行があるVtuber

最近Vtuberを見るようになった人は知らないと思うが動画勢に「ゲーム部プロジェクト」という4人グループがいた(その頃に私はVtuberを知った)。

「良デザで面白くてゲームも上手い…!!」

なんて思ってた。

けどある日想いは瓦解した。

 

「ん…?企業がブラック…?」

「声明文に”御本人”じゃなくて”声優”…って?」

「本人達がゲームしてなかったんや…」

「あれ、この子こんな声だったっけ?」

「あれれ、全員声変わっちゃったぁ^^;」

 

そこにいたのは、今まで見ていた彼らではなく、よく似た彼らのような他人になっていたのだ。

悲しいことだが受け入れるしかなかった。中の人達やキャラに罪はないから。

でも

「私が見ていたあの面白かった動画はいったい…何だったんだ?」

怠惰

授業内試験が行われるときに

持ち込み無しのときにはちゃんと準備をするのだが、持ち込み有りの時には無しの時と比べて準備をしなさすぎる。結局持ち込み無しの時の方が点数が高かったりする。

ちゃんと準備すれば問題無いんですけど何処か甘えてしまうのが自分の悪い所。

なんとか改善したい。