Xの民がいまだに飽きない話題である「デート論」。その話題が最近またTLに流れて来た。
『初デートでサイゼリアは有り得ない』みたいな話はXでよく目にするけど、普通にサイゼリアでカップルが楽しそうに食事してるから、これを言ってる連中は何となく察しがつく
— thunder (@thunder691019) 2024年11月7日
このツイートに引用する形で、
デートってレベルアップ方式じゃなくて、どんどん特別度を下げて日常にしていくゲームなんだよ〜!
— わらび (@Mse7Ys) 2024年11月9日
サイゼでご飯してるカップルは付き合ってそれなりに仲を深めて、二人でいるのが日常化したあとだよ https://t.co/CKjFStmjn7
というのが流れてきた。
このツイートを見て私は、
『サイゼデートは初めて行く場所じゃなくて、特別度を下げた段階で行く場所。そもそもデートはレベルを下げるもの。』 っていう論理はわかるし、実際チェーン店を初デートで使うわけ無いんだけど、感覚的に語るとなると「来賓者気取り」とか「良いお店は大切にしたい人と行きたいし、まだそうで無い関係なのに、なるかわからないのに、金を落としたく無い(奢りたく無い)」って思う。
金額が小さいといえど若いうちは負担になるし、損得がわからない投資は避けたいよね。
と思った。
この前者のように『論理的な人生』を歩むべきなのか、後者のように『感情的な人生』を歩むべきなのか、20余年の人生を振り返って改めて考えてみることにする。
『論理的な人生』
まず、論理的な人生というのは
- 世間がいう「生き方の鉄則」に則った人生設計
- データ等といった客観的な情報に基づいたもの
- 目標に対してのアプローチの仕方を具体的に考える
などといった特徴を持つものだと言える。
例えば、前者の「サイゼデートは特別度を下げた段階で行く場所であり、初デートには適さない」という論理は、
- 初デートは相手に良い印象を与える場であり、適度な特別感のある場を選ぶのが合理的
- デートには段階があり、相手との関係が深まるごとに、形式ばった「特別さ」よりも、気軽さや日常感を共有することが重視される
- そのため、初デートでのチェーン店利用は、場の雰囲気や期待値にそぐわない場合がある。
このような論理的な考え方は、恋愛だけでなく、日常生活の様々な場面で役立つ。例えば、受験や資格取得においては「短期的な感情に流されて怠けるより、計画的に勉強した方が合格する可能性が高まる」というように、目標に向けて論理的に行動することが重要だ。一方で、友人関係では感情が重要な役割を果たすことも多い。論理的には「自分の利益にある人間関係を築こう」と考えるかもしれないが、感情的な共感や信頼がなければ長続きしない人間関係もある。
『感情的な人生』
一方で、感情的な人生というのは
- 自分が「こうしたい」「こう感じる」という直感に従って行動する
- 他人の気持ちを汲み取り、それに基づいて行動を変化させる
- 結果よりも、その過程や体験に対する満足感を重視
などといった特徴を持つものだと言える。
例えば、私の感覚的な考えとして挙げていた「まだ、確信を持てない相手に対して、過剰にリソースを割きたくない」(本当に過剰かは置いといて)という損得勘定も感覚的なものとして含まれてる。これは「大切な人に価値ある体験を提供したい」という内なる感情に基づいているため、相手の感情や関係性をより重視する場合には有効かもしれない。
どちらが正解なのか
『論理的な人生』と『感情的な人生』は対立する概念に見えるが、実際には両方が必要だと言える。世の中白黒ばかりでは語れない。20余年の人生を振り返ってみると、中学校の時は論理に頼りすぎて心が豊かな人生を余り、送れていなかった様な気もするし、高校の時は感情に頼り過ぎて結果的には豊かではなかった気がする。両者をうまく使い分けることが、幸せな人生を送る鍵になるのではないだろうか。それぞれの場面に応じて、両者をバランス良く取り入れることが、「自分らしい」生き方を見つけるポイントとなるだろう。